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人は常に選択と決断を繰り返して生きていく

その選択は、常に正しい

海 シルエット

 

カナダのバンクーバーへ留学したのは21才のときだった。アメリカで同時多発テロが起きた、およそ1カ月後だった。

 

1年の予定を半年で切り上げ帰国。残っていた資金で1カ月ほどインドを旅した。本当はパキスタンに行きたかったのだが、テロリストが潜伏しているとのことでお隣のインドに変えた。

 

物書きになりたいと思い、東京の大学に入ることを決めたのは26才のときだった。仕事を2つ掛け持ちして入学資金を貯めた。

 

「あのとき、思い描いた人生を送っているかい?」

 

そう訊かれたら、悔しいが、

 

「ちがった人生だよ」

 

そう答えるしかない。

 

「自分の選択に後悔はしているかい?」

 

そう訊かれれば、わたしは迷わずこう答える。

 

「後悔はしていないが、もう一方の選択肢を選んでいたら、別の人生があったとは思う」

 

 

 

わかっていることは、人は必ず死ぬということと、常に選択を繰り返しているということだ。

 

わたしたちの前には必ず選択肢が用意されている。並べられた選択肢の一つを選ぶ。そこから先に進むとまた選択肢が用意されている。

 

人それぞれに与えられた選択肢はちがう。

目の前の電車に乗ろうか。それとも次の電車に乗ろうか。

外食をしようか。それとも家で食べようか。

テレビを観ようか。本でも読もうか。

 

選択肢の内容に関わらず、わたしたちは常に決断に迫られている。片方を選び、もう片方を捨てる。その連続である。

 

選んだ選択肢の結果が、あなたが思い描いていたようなものではないかもしれないが、捨てたもう一方の選択肢がよりよい結果だったとは決して言えない。なぜならその結果を見ることは、あなたを含めてだれ一人としてできないからだ。

 

もう一方を選んでいたら、今とはちがう人生があったかもしれないが、それを知ることができないかぎり、そこに後悔は存在しないはずだ。

 

あなたの選択は、常に正しい。

 

 

選択は、常に自らが選び、決断していくものだが、その決断の連続が、ときに言葉では説明できないことを起こす。「見えざる力」か「神のいたずら」か。

 

 

おそらくこの先、わたしも、そしてわたしの母にも、このような経験が訪れることはないだろう。

 

雨が降っていれば、そこにいなかったかもしれない。

一つ前の電車に乗っていたら、それは起きなかったかもしれない。

もし、わたしが先にアクションを起こしていたら、今とはちがう別の結果になっていたかもしれない。

 

「だれかがだれかを必要としていた」

 

言葉では説明ができない、そういったことがあるのかないのかわからないが、それぞれが存在を知ったときから、今まで気がつくことがなかった歯車が回り始めた。

 

これからの、それぞれの人生に作用を与えたことはまちがいない。

 

なにか意味がある。そうでなければ、説明がつかない。

 

たとえこの世の片隅にいても、その存在を忘れることはない。なぜなら繋がりがあるのだから。

 

 

これまであなたが選んできた選択肢に、まちがいはない。

 

 

(アイキャッチ画像/著作者:iDapinder)

 

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