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偏った報道がこの国の高齢者ドライバーを悪にする

老人

著作者:Nicolas Alejandro Street Photography

 

「高齢者」という枠組みは何歳から当てはまるのかわからないが、60歳の人がそれ以上の年齢に見えることもあれば、70、80でも若さを保っている人も多くいる。

 

「年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る」

サミュエル・ウルマンの『青春の詩』の一説である。

希望に満ちている人は体力も気力も十分なのか、若々しく見えるのは確かである。

しかしどれほど若く見えても、年を重ねることで人間の機能は衰える。60歳の人が20歳の青年に戻ることはできないのである。

 

 

70歳の半ばを過ぎた父親は、深夜の大通りを右折したときに、誤って対向車線にはみ出したことをきっかけに、運転免許を返納した。

 

30年以上自ら商売をして、毎日自宅と作業場を車で行き来していた。認知症など患ってなく、会話も理路整然としていて、憎たらしいほど口が立った。もちろん無事故無違反である。

大病を患うことなく年を重ねてきたが、二年ほど前に初めて病気を患った。それが原因で時折、立ちくらみのような軽いめまいを覚えるようになった。深夜の大通りで対向車線にはみ出したのは、そのころである。

その後、父親は障害者一級と認定された。

 

彼は今でも商売をしている。運転免許の返納は、彼の生活にも支障はあるが、自宅と作業場を一緒にしたことで車の運転をする必要がなくなった。交通が不便な場所に住んでいるが、幸い徒歩圏内に大型スーパーもある。

車がないことで不便なことはあっただろうが、なければないで人はその環境にいずれ適応する。

 

 

ニュースは連日、高齢者ドライバーが事故を起こしたことを取り上げている。これまでも全国で高齢者ドライバーの事故はあったはずだ。しかしそれらは目立って報道されることはなかった。

なにかのきっかけで、今の「高齢者ドライバーの事故」が注目されている。高齢者が事故を起こせば遠い地方の事故でも、

「また高齢者ドライバーの事故です」

と報道され、それを観た視聴者も、

「また高齢者ドライバーの事故か」

と、繰り返し刷り込まれる。

 

『高齢者ドライバー=悪』

 

の構図ができつつある。

 

加害者の側に立つ気持ちなど毛頭ない。事故を起こした人間はどんな理由があるにせよ法で罰せられるべきだ。

命が奪われた被害者家族の悲しみは計り知れないだろう。もし自分の家族の身に起きたら加害者に対して憎しみしか持たないと思う。

 

多発する高齢者の事故を受けて警察などが免許の返納や安全運転を呼びかけているが、対処療法的で根本の解決になっていない。

 

高齢者が運転を必要とするのは、老後の楽しみなどではなく、高齢になっても仕事をしなければならない現状と、車がなければ移動も不便という環境がそうさせている場合がほとんどである。

高齢になり仕事をしないで生活できる世の中であればいいが、年金の支給年齢は引き上げられる方向であり、その支給額は引き下げ傾向である。

本当に必要とされる人への生活保護などのセーフティーネットも減額対象である。

一方、経験で培った熟練の能力を活用しようと、定年退職後も仕事をしてもらう企業が増えている。

高齢者ドライバーの事故が年々増えているようだが、そうなることは今の社会を見れば予想できたはずである。

 

高齢者に運転免許の返納を促す前に、高齢で運転しなくてもいいような世の中にすることを考えるべきである。

交通が不便な田舎でも交通弱者を作らない取り組みや、高齢でも仕事をしなければならない人への本当のセーフティーネット。さらにはただ免許返納だけではなく、それによって発生する生活への支障を免許の返納と引き換えに補助金という形で補うような対策が先決である。

 

事故を起こした高齢者ドライバーは悪いが、そのような世の中にした政府はもっと悪い。

 

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