読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

スポンサーリンク

65歳まで湾港労働を続けた『沖仲仕の哲学者』。彼の名はエリック・ホッファー

BOOKs

『沖仲仕の哲学者』

教育とは一体なんなのか。

 

机上だけの論に説得力があるのか。

 

 

エリック・ホッファー。

彼の名を知る人はそう多くはないはずだ。

エリック・ホッファー

 

アメリカの社会哲学者でありながら正規の学校教育を受けていない人物である。

 

その人生はあまりにも数奇に満ちており、それでいて人を引きつけるのはなぜなのか。

 

社会の最底辺で生きながらも、自らの人生にあきらめ(明らかに極める)を持って生きる姿は、まさに生身の「人」であり、学者のように机と向き合うのではなく、人と向き合うことによって、彼、独自の哲学を生み出したのである。

 

エリック・ホッファーとは

エリック・ホッファーを簡単に紹介する。

 

1902年ドイツ系移民としてニューヨークに生まれる。

7歳で母親と死別。その後突然視力を失う。

正規の学校教育は一切受けていない。

しかし15歳で失われていた視力が戻る。

そして18歳のとき、独習の家具職人だった父親が亡くなり、これによってホッファーは天涯孤独の身となる。

 

視力についてホッファーは、視力が失われて、そして回復したことについて思い煩うことはなかったと自伝で語っている。

それよりも、また再び目が見えなくなるのではという思いが強く、このときからホッファーの絶え間ない読書人生が始まる。目が見えているうちに読めるだけ読もうと考えていたようだ。

 

 父親が残した300ドルだけを持ってニューヨークから、温暖な気候で、オレンジを食べられれば生きていけそうなカリフォルニアに移動。ロサンゼルスの貧民窟で日雇いの労働者として生きていく。

ホッファーは日雇い労働が終わると、近くの図書館にこもり、読書に勤しんだという。

 

28歳のときに自殺をするが未遂に終わり、これを期に南カリフォルニアに移動し、季節労働者として数カ月単位で農園を渡り歩いたり、カフェで働いたりしている。

 

どれほど短期間でも、住居を選ぶときは近くに図書館がある場所を選び、仕事が終われば図書館に通っていた。

 

このころホッファーは図書館の書物だけで大学レベルの数学と物理学をマスターしていた。また、農園の仕事を通して植物学に興味を持ちこれもマスターした。

 

あるときカフェで仕事をしていたとき、男性客がドイツ語の文献と格闘しているのに気がついた。ホッファーはドイツ語もある程度できたので、男性客に声をかけ、変わりに翻訳の手伝いをした。

男性客はカリフォルニア大学バークレー校の柑橘類研究の教授で、当時ある問題に取り組んでいた。

教授はホッファーの深い知識を知り、彼に協力を求め、ホッファーはこの問題を解決、これによって大学の研究員ポストを与えられたが、ホッファーはこれを断り放浪生活に戻っている。

 

哲学者を志す転機となったのはホッファー34歳のときである。

このころ砂金堀で訪れた土地でひと冬過ごすことになり、彼は古本屋で購入したモンテーニュの『エセー』を持っていった。この本が彼を心を動かす。

 

そして第二次大戦が起きたこともあり、人の役に立たいと思い、自らの思想を著述することをはじめる。

 

サンフランシスコ沖で沖仲仕、いわゆる日雇いの荷受けの仕事をはじめたのはこのころである。仕事場所は定着したが、日雇い同然の荷受けの仕事である。

 

すでに知識を十分に身につけていたホッファーは『沖仲仕の哲学者』と呼ばれていた。

62歳にはカリフォルニア大学バークレー校で政治学教授となっていたが、沖仲仕の仕事は65歳まで続けていた。メインは教授よりも沖仲仕だったようだ。

 

1983年、当時の大統領ロナルド・レーガンから自由勲章が送られ、同年、老衰により死亡。80歳だった。

 

 

Misfit(不適応者)

失明、そして回復。これだけで一つの物語ができてしまいそうな話である。

エリック・ホッファーに引きつけられる要因は、彼の生き方そのものにである。

 

本来なら、だれもが生きたいように生きて、この人生を終えたいのである。

しかしそれは簡単なことではない。なぜならわれわれは生きなければならないからである。

この「生きる」とは、ホッファーのように“今”を生きるということではなく、ご飯を食べるため。家に住むため。子どもにお金を使うため。好きなものを買うため。こういった生活のために「生き」なければならないのである。

 

この人生に意味がないのであれば、ホッファーの生き方は一人の人間の人生の意味になる。

誰からも規制される必要もない。干渉されることもない。彼は日雇い労働を選んで、そして好きな読書に更ける。

お金がなくなればまた日雇い労働で身銭を稼ぐ。これが彼の人生であり、彼は自らの人生を生きた。

 

ホッファーの思考を深めさせたのは、自殺未遂以後である。

それまで彼は読書によって知識量は多くなっていたが、人との交流にはあまり関心がなかった。

しかし自殺未遂以後、彼は日雇い労働で知り合う人たちと交流し、彼らを通して思考を深めていくのである。

 

彼の自伝には出会った人たち、出来事の印象深いエピソードが書かれている。

 

道路建設

ある建築会社が山中に道路を作るため貧民街にトラックを送り込んできた。乗れる者はだれでも、たとえ片足でも雇われた。

会社の人間は一人。各自に装備品一式が置かれ、それぞれに仕事が割り当てられた。

ここで驚くことが起きる。

貧民街にいた者たちの中には大工から器機操縦士。コック、救急療法士と、あらゆる者がいることがわかった。

ホッファーはテントと料理小屋、トイレ、シャワー室が作らるのを目の当たりにする。

そして翌日から道路建築が行われ、順調に作業を終了した。

ホッファーはこのときの光景を見て、

「その気になりさえすれば、山のふもとにアメリカ合衆国を建国することだってできたのだ」

と語っている。

 

社会的不適応者

メキシコ国境近くの土地で季節労働者キャンプに四週間滞在したときのことをホッファーは振り返って、

「思考全体を独特なものにし、以後五十年間に書くものすべての種子になろうなどと誰が予期しえたであろう」

と語っている。

 

このキャンプで彼は、同胞の放浪者たちの人間体としての価値を見極めようとして、人の顔を意識的に見るようになった。いい顔つきの者もいれば、シワだらけ。皮がはがれた者。鼻の折れた者もいた。

さらには、片腕がない者。足を引きずっている者。木の義足をしている者。五体満足なのは200人中70人だけだった。

われわれの大半は、社会的不適応者だった。われわれにとって定職につくということは軋轢を生むこと以外何ものでもなかった。

(中略)

普通の安定した地位に留まることができず、現在の泥沼へと押し流されたのである。

 

ホッファーは干し草作りの仕事が見つかりこのキャンプを出たが、ここで得た思索は続いていく。

開拓者としての放浪者?

開拓者とは何者だったのか。家を捨て荒野に向かった者たちとは誰だったのか。

人間はめったに居心地のよい場所を離れることはないし、進んで困難を求めることもない。財をなした者は腰を落ち着ける。居場所は変えることは、痛みを伴う困難な行動だ。

それでは誰が未開の荒野へ向かったのか。

明らかに財をなしていなかった者、つまり破産者や貧民。有能ではあるが、あまりにも衝動的で日常の仕事に耐え切れなかった者。

(中略)

おそらく現在。季節労働者や放浪者に落ちぶれた者と同じタイプの人間が、一昔前は開拓者の大部分を占めていたのだろう。

 

 

 波止場へ

多くの労働者と出会い、そして別れを繰り返し、ホッファー40歳のときに、25年間働くことになる波止場で沖仲仕の仕事に就く。

場所さえ落ち着くことになるが、彼の生活スタイルは変わらない。仕事を終えれば読書を続けた。

彼は労働者と話すことが好きだった。労働者もまたホッファーの話を聞くことが好きだった。

 

『沖仲仕の哲学者』

 

と呼ばれるようになったのはこのころからである。

 

 定着した仕事に就いたからといって、ここで勘違いしてはならないのは、ホッファーは仕事に対して重きを置いていないことだ。

われわれは、仕事が意義あるものであるという考えを捨てなければなりません。

この世の中に、万人に対して、充実感を与えられるような意義ある職業は存在 していないのです。

(中略)

産業社会においては、多くの職業が、それだけを仕上げても無意味だとわかっている仕事を伴っているのです。

そういうわけで、私は一日六時間、週五日以上働くべきではないと考えています。本当の生活が始まるのは、その後なのです

 

ホッファーは自らを肉体労働者として身を置くことで、形だけのエリートであることや権威を否定的に見ていた。

私のいう知識人とは、自分は教育のある少数派の一員であり世の中のできごとに方向と形を与える神授の権利を持っていると思っている人たちである。

知識人であるためには、良い教育を受けているとか特に知的であるとかの必要はない。教育あるエリートの一員だという感情こそが問題なのである

 

またこうも言っている。

知識人は傾聴してもらいたいのである。彼は教えたいのであり、重視されたいのである。知識人にとっては、自由であるよりも、重視されることの方が大切なのであり、無視されるくらいならむしろ迫害を望むのである

 

いい身分になるために。いい給料を得るために学ぶのではなく、教授だろうが、放浪者であろうが、身分も属性も関係なく、ただ好きだから自由に学べる社会であることの重要性を語っている。

 

何ものにも属さない生き方

人の心を覗くことができないのであれば、日雇い労働者として生きたエリック・ホッファーが幸福だったかどうかなんてわからない。

 

ただ、自らの置かれた境遇、それを受け入れるあきらめ(明らかに極める)と、自らが追求することへの行動力は彼が選び進んできた道であることは事実である。

 

自らを偽りながら生きる人生ではなく、放浪者、日雇い労働者として生きながらも、「居場所」を見つけられたことは、ホッファー人は間として幸福だったのかもしれない。

エリック・ホッファー自伝―構想された真実

エリック・ホッファー自伝―構想された真実

 

スポンサーリンク