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社会人諸君! 病気になるまで会社にしがみつくな。辞める勇気を持て!

ある友人の話

ひまわり

友人が10年以上勤めた会社から転職した。

 

先日、その友人と、転職後はじめて会った。

 

その日の午前中に用事をすませたわたくしは、天気がよかったこともあり、急にその友人に連絡をした。いつもならあらかじめ予定を決めて会う友人なのだが、その日は急だった。

友人は都合よく予定がなかったらしく、連絡後1時間で落ち合うことができた。

 

ランチをしたあと、コーヒーを飲みながら、いつものように他愛のない話をした。

友人が転職後だったこともあり、新しい職場。仕事のことを訊いた。

 

そのとき、友人の話す言葉。話の訊き方。そして彼の雰囲気が、これまでのものと違っていることに気がついた。

うまくたとえられないのだが、背負っていた重い荷をおろしたような力の抜けた感じ。または水に打たれてさっぱりしたような、そんな雰囲気だった。

 

会社主義

およそ10年、友人は大手企業に勤めていた。誰が聞いていも名前は知っている企業だった。

 

その一つの部署で働き、同期よりも一歩も二歩も先を進み、上司からは頼られ、部下からは信頼厚い、まさに出世街道まっしぐらな、絵に描いた人間だった。

 

その立場を手に入れることと引き換えに、友人は馬車馬のように働いた。長時間残業をし、休日出勤も当たり前だった。

 

会社が求める無理難題にも、友人は自らのスキルを磨き解決し、困難と思われることは一定部分で線を引き、最低限出来る範囲のことを行った。

 

上司ですらできないこと。やったことがないことを友人はこなした。

 

そんな友人を、会社は働かせるだけ働かせた。

もちろんわたくしが直接知る由もない。

友人は自分のため、そして会社のために働いたのだから、それでいいのかもしれないが、わたくしの感覚からすれば、言葉は悪いかもしれないが会社からしてみれば、

「使えるものはすり減るまで使っておけ」

といった印象しか感じなかった。

 

会社員であれば会社の意向に従うしかない。それは間違いではないだろうが、会社員の前にだれもが一人の人間である。

 

 

数年前まで、わたくしはその友人と頻繁に会っていたのだが、しだいに期間が空くようになって、数カ月に1回会えばいいほうになっていた。

 

あまり会うことがなくなったのは、友人が忙しいということもあったのかもしれないが、わたくしが少し避けていたのも事実である。

 

その大きな原因は、友人と昔ほど会話のキャッチボールができなくなっていたことだろう。

くだらない、どうでもいいような話題。ネットニュースのヘッドラインに乗るようなことでも、その友人と会話のキャッチボールができなくなっていた。

時折会っても、ランチをしてコーヒーを飲んで2時間ほどでわかれる。そんなことが多くなっていた。

 

友人からは、彼が思い描く将来設計や、夢を聞いていたが、正直な感想としてわたくしは当時、

「難しいのではないか」

と思っていた。

少なくともその会社に勤めているかぎり、彼はそのままその会社に骨を埋めるのではないかと感じることもあった。

それほどまでにわたくしから見れば、彼はどっぷりと会社に浸かっている状態に思えた。

 

何かが外れる

友人から会社を辞めて転職するつもりだと聞かされたとき、にわかに信じられなかった。信じろと言われても、そんな簡単に信じることなどできなかった。

 

辞めようと決めた切っ掛けは、本人のことなのでどのようなことでもいいのだが、彼の中に、辞めて転職の選択肢があったことにわたくしは驚いた。

友人の気持ちに変化を与えたのがなんだったのかわからないが、彼の気持ちや、心にあった何かが外れたのかもしれない。

 

わたくしは勝手ながら大いに大賛成した。多くは言わなかったが、

 

「やったじゃないか。これで自分の人生を生きられる。これからが本当の人生だ」

 

そんな言葉を頭に浮かべていた。

 

 

会社という病

友人とコーヒーを飲んでいたとき、彼は興味深い話をしてくれた。

 

彼の受け持っていた部署は、さまざまな面で重労働だった。

残業という拘束時間と、精神的に追いつめられる業務。それでも働いて、その結果、何人もの人が鬱になり休職しているという。

 

「病気になってまで我慢しないで、さっさと辞めちゃえばいいじゃないか」と、わたしは言った。

 

病にかかってまでその会社で仕事を続ける意味はない。とわたくしは常日頃から考えている。

やりたいことを仕事にして、それをやっていても苦痛ではなく、結果、過労で倒れてしまうことと、精神的に追いつめられ、夜寝ることも、朝起きることも苦痛な状態で倒れることと、同じ倒れるでも、そこには大きな違いがある。

 

友人はこう言った。

 

「辞めたくても、怖くて辞められないんだよ」

 

“辞めるのが怖い?” 

 

 

友人の話はこうだ。

 

学校を出て、厳しい就職戦線に勝って、名前が知られた一流企業に勤めて、取引会社の人間からはちやほやされ、神様のように崇められて、それなりの給料をもらって、いいポストにつく。そんなことを経験し続ければ、たとえ業務で苦痛なことがあったとしても、今の地位を捨ててまで転職なんて考えない。考えられない。

 

その結果、辞めることが怖くなる。

 

もし転職しても今の水準の生活を保てるほどの給与をもらえるだろうか。

転職した会社でうまくいくだろうか。

もしかして転職した会社のほうが今よりもヒドいものかもしれない。

 

そうなると転職なんて選択肢はなくなる。このまま我慢したほうがいい。という精神状態になるようだ。

経済面はもちろんのこと、一流企業で勤めている見栄やプライドも、行動を邪魔するのかもしれない。

 

友人は転職をして、あのときの不安は一体なんだったのか。無駄な心配だったと言っていた。

 

 

プライドは簡単に傷つかない

わたくしが歩んできた好き放題な生き方は、過去の記事を読んでもらえればわかるので割愛させてもらうが、この友人とは雲泥の差の人生である。

 

今の日本社会でわたくしの生き方はまったくと言っていいほど通用しない。

もしわたくしを日本社会の型にはめれば、

ろくにサラリーマン経験もない。何かを成し遂げた経験もない。

思いつきのように26歳で大学に入り、30歳で大卒の資格を手にしても、世間がいうような定職にもつけなかった。

奨学金というサラ金のような借金を背負い、未婚の30代である。

 

これは誰が見ても最悪である。絵に描いたような典型的な「負け組」である(わたくしは負け組だとは思っていないが周囲からの視線は冷たい)。

 

「くやしくないか!」

 

と言われ「くやしくない!」と言えば、ウソになる。人間だもの、くやしいときもある。

 

まだ20代のときなら、プライド云々と言って、かっこつけていたときもあった。

「プライドがあるから」

「そんなことは望んでない」

そういった時期はだれにでもあるだろう。

 

ただ、今だから言えるのだが、はっきり言えば、人間のプライドなんてそう簡単に傷はつかない。

 

プライドがあるから頭を下げられない、なんて今のわたくしにはない。やらなきゃいけないのであれば、一日中トイレ掃除でも、ゴミ拾いでもできる。

 

実際、以前勤めていた舞台の仕事では「下足番」という、役者の履物を一日中出し入れする業務をしていたこともある。

 

最初は「ふざけるな!」と思い、役者の履物をぞんざいに扱っていたが、いつしか、

「これも人生か」

と思うようになっていた。

 

頭を下げることでプライドが傷つくというなら、そんなものはプライドでもなんでもない。

頭を下げることもできないのなら、あなたのプライドはあまりにも小さい。

自分自身のためならなんでもする。トイレ掃除でも、下足番でも。それが本当のプライドだ。

プライドをも捨てるプライドを持て。

 

 

リハビリ中

一昔前なら会社も社員を一生面倒見てくれたかもしれない。勤め続ければ収入も右肩上がりの時代もあっただろう。

しかし今はもはやそんな時代ではない。リストラは当たり前。収入も右肩上がりどころか、平行か下がりである。

勤め人が若者に説教たれるのは、所詮バックに会社がついているからである。その背負っているものをおろして、裸一貫になったときに自分の力で生きていけるか、100円でも200円でも自分が作り出したもので稼ぐことができるか。

いつ会社に裏切られてもいいように準備だけはしておいたほうがいい。

 

 

その日、しばらく友人と話したあと、ぶらぶらと散歩をした。話ははずみ、おもしろおかしく散歩を楽しんだ。

 

環境が変わるだけで、人間はここまで変わるのかと、あらためて実感した。

 

友人は前職からの「後遺症」が残っているらしく、今も「リハビリ中」であると、笑いながら言っていた。

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