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【子どもの貧困を考える】子どもの前でお金の苦労を見せてはならない。子どもは環境に敏感であり、貧困は受け継がれる

生まれたときから不平等

子どもの貧困

 

「貧しさは悪である」

 

本心を言えば、これが答えだと思っています。

 

ここで言う「貧しさ」とは金銭のことであって、心の貧しさではありません。

ただ、ほとんどの場合、金銭の貧しさが心までも貧しくさせます。

貧乏はしないほうがいい。お金がないことで人は心まで貧しくなります。お金の苦労は心のゆとりを奪います。

 

「若いときの苦労は買ってでもしろ」

 

と、平気で言う人がいますが、これは学校を出て、社会人になりたての若い人に向けた言葉であって、幼少の子どもに苦労させることではないとわたくしは思います。

 

お金はあればあるほどいい。

お金の苦労はしないほうがいい。

できればお金持ちの家に生まれたい。

お金持ちの親の元に生まれたかった。

 

 「この世はだれもが平等だ」

 

 などと、口が裂けてもわたくしは言えません。

 

この世は、生まれたときから不平等にできています。

 

もし、われわれが生まれ出るときに「どの親を選びたいか」と選択肢が用意されていて、希望通りに叶うのであれば、それは平等かもしれません。

 

しかし、そんなことはありえない。われわれは気がついたとき、すでに育つ環境が決まっています。

 

運よくお金持ちの、優しい親の元に生まれた子どもの人生は、そのスタートからアドバンテージが用意されています。たとえばボードゲームでサイコロを二つ持った状態からスタートです。

 

しかしお金がない、喧嘩の絶えない親の元に生まれた子どもは、まちがいなく不利なスタートラインからゲームが始まる。

 

生まれる国によってもちがいます。今の日本に生まれれば、多少貧しくても生きていこうと思えば生きていけます。

 

しかし、紛争がたえない国や、着る服も与えられないような国に生まれれば、生きていくことさえ困難かもしれません。

 

それでもまだ、この世は平等といえるのでしょうか。

wabisuke.hatenablog.jp

 

「お前は、考え方も、心も、そして財布の中も、本当に貧しい人間だ」

 

わたくしの考えにそう感じたかたがいるとすれば、それは当たりです。時折わたくしは、心も財布の中も貧しい人間だと自分自身に思うことがあります。

 

ただ、考え方は人それぞれなのでこの部分は当たりでも外れでもありません。

 

お金のない家に育った子どもが、環境の歪みの中で、自らも歪みながら成長していくと、大人になっても、どこかにその歪みが残ってしまうのは、やはり幼い時代に歪んだ環境で生きてきたことが大きな理由であると思います。

 

ユニセフが2001年に発表した『世界子供白書』では、3歳になるまでに脳の発達がほぼ完了していることがわかってきているとされており、さらに2014年の白書では、「貧困や紛争が及ぼす、子どもの脳への影響は?」と題して、子どもの脳の発達に関する事実をあげています。

www.unicef.or.jp

 

 孟母三遷

『もうぼさんせん』と読みます。

のちに中国の儒家を代表する孟子(もうし)とその母親のエピソードを指す言葉です。

 

【孟母三遷の話】

孟子が子どものころ、家のすぐ近くに墓地がありました。

いつしか孟子は、暇さえあれば葬式ごっこをして遊ぶようになりました。

これを見ていた孟子の母親は、

「ここの環境はあの子が住むのにふさわしくない場所だ」

と思い、場所を変えるために移動することに決めました。

 

そうして次に引っ越した場所は市場の近くでした。

そこに住み始めてから孟子は、商人のまねをして商売ごっこをするようになりました。

それを見てた孟子の母親は、

「この場所もあの子が住むにはよくないところだ」

と思い、再び引っ越しをしました。

 

今度は学校の近くに住むようになりました。

そこに住み始めてから孟子は、学生がやっている祭礼の儀式や、礼儀作法のまねごとをして遊ぶようになりました。

孟子の母親は満足し、その場所に住みついたそうです。

 

孟子は成長すると、六経を学び、やがて儒家を代表する人物となりました。

 

環境が人間に与える影響、もっといえば子どもに与える影響を、この孟母三遷から読み取れます。

 

 

子どもは親に従うしかありません。

親に抵抗する力もない。自分で稼ぐ力もない。ある一定の年齢までは、親の言うことに子は従うだけです。

親が引っ越しをすると言ったら、どれだけ友達を別れたくなくても、子どもの願いを聞いてもらうのは難しいでしょう。アルバイトでもできる大学生ぐらいになれば、一人で暮らすことも可能でしょうが、小学生や中学生なら、親に従うしかありません。

 

 

環境が子どもの成長に影響するなら、お金がない、貧しい家の環境も子どもの成長に影響するとわたくしは思っています。

 

「人生はお金じゃない」

「ほどほどのお金があればいい」

「お金のために働いているわけじゃない」

 

こういったことを言う人は、お金で苦労したことがない人です。

もちろん「貧しさ」の感じかたは人それぞれです。当事者が貧しいと感じたらそれは貧しいのです。

ただ、「お金じゃない」「ほどほどに」「お金のためにではない」なんてわたくしは言えない。

自らの経験を思い起こせば、「ほどほど」なんて言えるのは、本当にお金がない、あのどん底の生活を知らないからこんな言葉を言えるのです。

「お金がすべてじゃない」といえるのは、子どものころから十分に生活できた人。お金がなくて惨めな思いも、恥ずかしい思いもしてこなかったからこそ、こんなことが言えるのです。

 

お金のために働いていないというなら、なぜ給料をもらうのですか。ボランティアをしていればいい。あなたが働いて得た給料をわたくしにください。お金のために働いていないのなら、いくらかのお金をください。

 

 働くということは、お金を得るためです。働いて得たお金で、わたくしたちは雨露をしのげ、電車にも乗れ、ご飯も食べられるのです。

 

10円足りないだけで電車にも乗れません。情けで電車には乗せてもらえません。駅員さんをどれだけ愛しても、10円足りなければ電車には乗れないのです。

 

生きていく上で、命の次に大事なのは「お金」です。そのお金がない貧しい環境は、はやり悪なのです。わたくしはそう思わずにはいられません。

 

ある男の半生

彼は、その貧しい家に、三番目として生まれました。彼の父親と母親が、

もし、時代が少しちがったら。

もし、世の中の流行が少しちがったら。

もし、あのとき、あの電車で、あの信号で、あの店での食事で。

どれか一つでもちがっていたら、もしかして彼は別の国、別の環境、別の親元に生まれていたかもしれない。

偶然のような、しかし必然とも思えるすべての出来事が用意されていて、彼はその親元に生まれました。

彼の人生ゲームはその場所から始まりました。

 

彼がはっきりと意識を持ち出した幼いときから、親の言い争いを見るようになりました。頻繁に繰り返される言い争いは、日常の中に溶け込み、それが普通の状態になりました。

 

それと同時に彼は、親の言い争いの中から、お金の重要性を知ることになりました。

 

「なんだかよくわからないけど、この世の中はお金というものがあればなんでも買える。お金がなきゃダメなんだ」

 

彼は5歳にしてお金の重要性を知り、持つ者と持たざる者の区別ができるようになりました。持つ者に力があり、持たざる者は力がない。

 

彼の父親は、持たざる者でした。しかしここに歪みが生じます。

持たざる者である父親は、社会という組織ではなく、自ら事業をしており、一国一城の主だったのです。

 

どれほど売上がなくても、潰れそうな店でも、城の主には変わりないのです。金がない代わりにプライドだけがこの父親にはありました。

 

この父親のプライドは、家族を守るものではなく、父親自身の体裁を守るためだけに使われました。まともに家族が生活できるだけのお金も渡さず、それでいて内面と外面を使い分け、聞こえの良いことばかり周囲には言っていました。

 

一方父親の子である彼は、小学校の給食費を三カ月も滞納し、先生に頭を下げ、家にいれば、滞納している三カ月分の家賃から、電気、ガス、水道料金の集金者に「親は不在です」と居留守をいう役になっていました。

 

彼ら家族が住んでいた、崩れそうな家には、夏場は虫が現れ、冬は窓の隙間から雪が入ってきました。浴室近くの床は腐り、はがれ落ちていました。シャワーはなく、頻繁に壊れるお湯炊きだったため、彼は2、3日風呂に入らず、日を置いて近くの銭湯に行っていました。父親に銭湯代をもらうことに抵抗があったのです。

 

払うものを払わず、料金滞納をおこなうと、まず電話回線が止まります。翌日学校に行くと「連絡網で電話したけど使われてなかったよ」と言われ、「コンセント抜けてたみたいです」と言い訳を言う。

 

電話の次は電気です。「◯月◯日に電気を止めます」という通告が入っていて、予告通り電気の供給が止まります。あらかじめ用意していたロウソクでその日の夜は過ごすのです。

 

彼と、彼の家族は、お金のない貧しさと、恥ずかしさに耐えながら生きていきました。

彼は道を踏み外すことなく成長しましたが、お金がない貧しい経験から、お金と、お金がある人を好むようになりました。

 

「親戚はよくお小遣いをくれるから会いにいこう」

「この人に尽くすと見返りがある」

 

彼は人の顔色を伺い、言葉と行動を選ぶようになりました。

 

彼の母親は当初、彼の父親の店を手伝っていましたが、これではまずい、と思ったのか、外の世界に働きに出て、子ども三人を連れて独立宣言をしました。

 

彼の母親は、いや世の中の母親に当てはまることかもしれませんが、子どもを守るためにプライドも何も捨てて働き、子どもを育てました。

 

しかし独立したとはいえ、子ども三人のすべてのものを賄えるほどの稼ぎはありませんでした。

彼自身も詳細はわからないみたいですが、父親と母親の間で何かの取り決めがあったようです。子どもの学費はそっち。生活費すべてはこっちというように。

 

一度は独立宣言した彼の母親でしたが、紆余曲折あり、三人の子どもを連れて数度、住む場所を変えました。のちに彼が母親に聞いた話では、子どもたちによくない環境だったから住む場所を変えた。と、まさに孟母三遷だったのです。

 

実は数度引っ越しをしたこの時期の前後が、彼を歪ませる、もっとも影響を与えた時期であったことは聞いていますが、彼は詳細を語るのをさけました。

 

 

彼の二人の兄姉は、親のお金で専門学校は出たそうです。

しかし彼が短大に進学するときになって、彼の父親は学費を工面できず、彼を自分の店によんで、そして彼にこう言ったそうです。

 

「学費が払えないから、家族みんなでお前の学費を貯めよう。お前からみんなにお願いするんだ。やる気があったら学費なんて貯まる」

 

そう言うと、一通の貯金通帳を彼に渡しました。残高は1万円。三カ月後には70万の学費の支払いが迫っていました。

 

彼はその三カ月間をどのように過ごしたか、あまり記憶にないと言っていました。

短大に通っていたり、帰り道を歩いていたり、バスに乗ってアルバイトに向かったり。そういった“点と点”は覚えているが、それらが線で繋がらないようです。

 

三カ月後、彼は学校の教員室で担当者に、

 

「自分のやりたいこととちがったから中退します」

 

そう言って彼は学校を去りました。貯金通帳には20万ほどの残高が印字されていました。学費の協力者は母親と父親で数万円。兄弟はゼロ。彼がアルバイトで貯めたお金がほとんどだったようです。

 

彼の人生ゲームの最初のターニングポイントは、このときだったと語っていました。

 

中途半端がすべてをダメにする

子どもの居場所を考えたとき、家庭、学校、友達。この3つの居場所があります。

 

これが年を重ね成長していけば、家庭、学校、友達、部活、塾、アルバイトなど、その居場所となる空間の選択肢が増えていきます。

 

大きなウェイトを占めていた家庭の空間が削られることで、たとえば家でイヤなことがあれば、部活の時間を増やしたり、アルバイトの労働時間を長くしたり、イヤな空間にいる時間を削ることでバランスします。

 

しかし、空間の選択肢がない、極端に少ない子ども時代の1/3は家庭になります。

 

子どもは日常と異なることが起こると不安になります。親がケンカしているのは自分のせいではないのか。お金がないのはぼくたちがいけないのではないか、と。

 

父方の祖父がこんなことを言っていたそうです。

「言い争いをしていても、子どもが現れたら普段の変わりない様子でいること。

子どもの前でお金に苦労している話はしない。

子どもたちに『差』をつけないようにする。たとえばケーキを買ってきたら先に寝ている子どもがいたとしても、同じ大きさに切り与える。そうしないと、先に寝てしまう子どもばかりがいつも不公平になり、安心できない。不安にさせてしまう」

 

祖父は自らに経験があってこのような考えにいたったのかもしれません。

 

親の中途半端な気持ちは返って子どもに悪影響を与えます。

 

「子どもがまだ小さいから離婚はどうか」

 

という親がいますが、この親の気持ちは、子どもに責任をすべて押しつけていて、言葉の暴力です。

子どもには決定権がありません。親が勝手に判断して決めているだけです。

子どももある程度分別できるようになれば、話している意味がわかってきます。そのときに、自分がいるから親は離婚できないと理解すれば、子どもの気持ちはどうなるのでしょう。なにも悪いことしていないのに、自分のせいになるのです。

 

そこをわかって物事を決めていますか。

子どもに相談しましたか。

 

おそらく相談しても子どもは答えに困るだろうし、みんなで一緒にいたいと言うかもしれません。家族である子どもの気持ちも踏まえての決断なら中途半端でもいいのかもしれませんが、そうではないのなら、ある程度はっきりさせた環境にしてあげる。

 

母親と父親の言い争いやいざこざ。険悪な、会話のない重たい空間でも両親が揃っていたほうがいいと思う子どもがどれほどいるのでしょうか。むしろ、笑顔の絶えない片親のほうがよほどいいと、わたくしは経験からそう思います。

 

親の言い争いほど、家庭での子どもの居場所をなくすものはありません。

 

むき出しになった親の姿を子どもは目の前で見せつけられ、どうしようもできない無力感になります。

逃げ出したくてもどこにもいけない。

止めたくても力がない。

他人事のように見えたり、だけど自分の親のことであり、そして次第にその空間がくぼんでいくような。スイッチのONOFFが繰り返される、そんな不安定な気持ちになります。

 

子どもが小さいときは両親が揃っていることがなによりもいいのですが、はっきり言えば片親でも子どもは育ちます。

何度も申し上げているように、むしろ大事なのは、子どもを不安にさせるようなことをしていないか。不安にさせるような行動をとっていないか。そして子どもがそこに帰りたいかどうかです。

 

「お金はあればあるほどいい」

「貧しいことは悪だ」

 

と最初に申し上げましたが、お金がなくたっていいのです。貧しくたってかまいません。お金がなくても子どもに笑顔さえ見せていればいいのです。あなたの笑顔に子どもはいつかかならず気がつきます。

「お金はないけど、親が辛い素振りを見せない。いつか親を助けてあげよう」

 

中途半端は本当によくない。離婚するしないはもちろん、お金がないから進学はあきらめろとはっきり言ってあげるほうが、子どもははじめ納得できないでしょうが、「じゃ、どうしよう」と、すぐに舵を切れるのではないでしょうか。残高1万円の通帳を渡すより、はっきりしているほうがよほどいいとわたくしは思います。

習い事も同じで、習い事はタダでできるものではなく、月謝があり、道具を買わなければなりません。子どものためと習わしておいて、月謝を滞納して子どもが頭を下げるようじゃ、無理に習い事なんてさせないほうがいい。子どもはお金のことが気になって習い事どころではない。

思い切りやらせるなら、打ち込めるような環境を作る。できないようならはじめからやめる。

 

親の気持ち一つで振り回される子どものことを考えれば、すべてが中途半端になるなら、最初からなにもないほうがいい。すべてが中途半端で終わってしまう子どもがかわいそうである。

 

貧困の連鎖を止めるには

親が貧困になれば、子どもにも影響があります。少ない給料から生活費を払い、足りなくなるとどの部分を削るか。大きな部分では、はやり教育ではないでしょうか。子どもへの教育が二の次になります。

学校に通うことはもちろんですが、子どもへの躾や、食事なども子どもにとっては教育です。その部分が蔑ろにされることは、その子どもが大人になっても、当たり前に身につくはずの言動が備わっていないことに繋がります。

そのように成長してしまうと、定職に就くどころか、社会という枠組みからもはみ出てしまうかもしれません。

子どもの貧困連鎖 (新潮文庫)

子どもの貧困連鎖 (新潮文庫)

 

上に紹介しているのは『ルポ 子どもの貧困連鎖』に加筆、改題され発刊されたものです。

さまざまな家庭事情をかかえた若者から、保育園に通う子どもまで、幅広い年齢層の子どもたちが登場します。

 

ダブルワーク、トリプルワークをしながら、公衆トイレに寝泊まりする定時制の女子高生。

同じ服を着続けて毎日小学校に通い、保健室で朝食を食べる小学生。

風呂にも入れず車上生活を続ける保育園児。

 

6人に1人の子どもが貧困状態である日本。親たちの格差が広がるに連れて、その子どもたちの格差も同じように広がっています。

家庭の事情はさまざまです。定職に就けない親。子どもを一人で育てるシングルマザー。鬱病と借金で日常生活さえ苦しい親。

生きるためにダブルワーク、長時間働き、疲れ果てて帰宅する親はそのまま倒れ込むように眠る。生活は徐々にすさんでいきます。

どうすることもできない無力な子どもたちのリアルな姿を知ることができます。

 

貧困を止めるには教育なのです。子どもに学びの場を与えることが大事なのです。

学校に何時間もかけて通う辺境の地にすむ外国の子どもたちをテレビなどで観たことがあるかもしれませんが、そこまでして学校に行きたいと思うのは、教育の大切さを知っているからなのです。学ぶことで生活を変えられると、幼くして彼らはわかっているのです。

 

教育を受けるにはお金が必要。お金を稼ぐには知識が必要。知識の多くは教育からです。

このどれもが欠けてもうまく歯車が噛み合なくなる。

バランスが重要になります。

 

wabisuke.hatenablog.jp

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