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無縁仏の終の住処。遺骨をゆうパックで送る『送骨』

THINKs THINKs-日常のこと

送骨とは

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少し前に夕方のニュースを観ていたら、『送骨』という特集が組まれていた。

 

送骨とは字の如く、骨を送ることを意味している。郵送でである。調べてみるとそういったNPO法人もあり、注文すれば「送骨セット」なるものが代金引換で送られてくる。ゆうパックのみのようである。

 

仏の遺骨を骨壺に入れ、ふちをガムテープでしっかりととめ、桐箱、骨覆、最後に段ボールに入れ、埋葬許可書などの必要証明書を入れて送るらしい。

 

現代の少子化による疎遠社会。無縁社会。高齢者の孤独死。墓守がいない現状。さらには貧困により墓を持つことの困難さと、高額を払ってまで墓を持つことの価値観の変化。それらの理由から、親類縁者が亡くなったあとの遺骨の扱いに困る親族。『送骨』は残された人たちにとってはありがたい供養の形なのかもしれない。

 

お盆には家族揃って墓参りに行き先祖供養を行う。そういったことが当たり前だった時代。その時代を経験し、懐かしみ、それが、考えるまでもなく当たり前だった“型”に、現代社会の“型”をはめようとすると、それは型が合わないから変な行動だと考えてしまう。

 

時代は常に動いている。それと同じように変わらないものなんてないのかもしれない。早いか遅いかの違いだけであって、常に“今の常識”は時代とともに変化している。

 

「家族揃って」の家族は一体どこに行ってしまったのか。共働きの両親に夜遅くまで塾通いの一人っ子。食卓からは手料理が消え、冷めた料理は餌のようでもある。

 

鉄のレールから外れた脱線者に、この世は冷たい。「諦め」という言葉が、顔にたかる蠅のように目の前を飛び回る。二極化された一方に引き込まれ、明日を考えることで精一杯なのに、一年先のことなど遥か未来のことである。

 

明日を生きるわずかな金のために死んだように仕事をするのか。その仕事さえ機械とコンピュータによって奪われる。人間ではない相手との仕事の奪い合い。結婚、子ども、老後、現実味がない、無味無臭の、“型”にはまった言葉である。

 

こんな時代に昔の"型”がはまるわけがない。先祖のことより今を生きる自分のことが最優先である。

 

現代社会の姿も、送骨も、どれがよくて、どれが悪いなんて言っていない。時代の流れに逆らうことは難しいと考えているだけである。

 

もし送骨が悪いと考える人がいるならば、それはたぶん、われわれ人間が仏様を故人として考えているからではないか。魂ではなく、故人の面影を思っているのではないか。

 

逆になぜ、送骨を受け入れている寺があるのかと言えば、それはたぶん、仏の世界から見た仏様の扱い方であり、その魂を思っているのではないか。

 

どちらを見てもいいも悪いもない。ただ、最も悪いのは、終の住処に導かずに、仏様をぞんざいに放置しておくことである。

 

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