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新宿中央公園のホームレス

公園

 

代々木駅から新宿の方へ目を向けると、ひときわ高いビルがある。

 

その姿は少し変わっていて、三本の四角い長い柱を伸ばして、その頂点に三角屋根を置いたような、どこか子どもの積み木遊びで作られた建物に見える。憎めない形ではあるが、そびえ立つ姿は威嚇にも似ている。ソフィア・コッポラ監督の映画『ロスト・イン・トランスレーション』の舞台にもなった、パークハイアット東京。丹下健三設計によるそれは、52階建てのホテルで、海外の著名人にも愛されている。

 

パークハイアットを横目に通り過ぎ、大通りを渡ると、そこにはポッカリと穴の空いたような空間に公園がある。この公園を囲むようにパークハイアット、東京都庁、ハイアットリージェンシー、ヒルトンなどの高層ビル群がある。

 

園内に入ると、一瞬そのビル群に守られているように感じるのだが、しかしそれは、だれからも見られないように隠されているような感覚に変わる。高層ビル群が、まるで巨木のように公園を隠している。新宿中央公園はそういった場所にある。

 

全長300メートルほどの長さの園内には、子どもが遊ぶ遊具や高台、小さな滝のようなものもある。ところどころに自動販売機や休憩できるベンチなどもあり、昼どきに園内でお弁当を食べている人もいた。最近では滅多に見かけないゴミ箱も至る所にある。

 

しばらく園内を歩いた。ベビーカーを押した母親や、散歩をしている年配の人、ベンチに座ってご飯を食べている人たちを目にした。パークハイアットを背にして進んでいくと左手に鳥居が見えてくる。熊野神社とあった。公園につけたようなつくりだったが、歴史からすれば公園があとからつくられたのだろう。

 

わたしは4つほど並んであった二人掛けのベンチに座った。肌寒い風が通り過ぎる。大通りを渡れば新宿の街を象徴するような高層ビル群に迷い込むことができる。しかし公園にいるわたしは時間の流れが違う異空間に取り残された者となっていた。たった信号一つ分の距離が、果てしなく遠いものに感じる。

 

わたしの横の二人掛けのベンチにリョックを背負った男性が一人、背中を丸めてタバコを吸っていた。60歳手前だろうか、顔には深いしわが刻まれていた。ホームレスにしては身なりがきれいだったが、会社勤めをしているようには見えなかった。

 

「新宿中央公園のホームレス」と聞けば、思い出す人もいるのではないだろうか。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』の著者、橘玲氏がエピローグで載せた文章の題名だ。その中で筆者は、打ち合わせに使用したパークハイアットからの帰り道、この新宿中央公園に引き寄せられるように足を踏み入れるという。そこにはホームレスの存在がある。けっして彼らに同情するわけでもなく、そうなった事情を知りたいわけでもなく、支援をしているわけでもない。なぜ惹かれるのか。彼らに明日の自分の姿を重ね合わせている。漠然とした不安。そんな生易しいものではなく、著者は残飯を漁るホームレスの姿に自分を重ね合わせる恐怖を肌で感じているのだ。

 

わたしは26歳で東京に住むようになって、至る所でホームレスの姿を目の当たりにして以来、彼らを見かけるたびに目で追っている自分に気づく。汚いとか、かわいそうとか、そういう気持ちではなく、自分もそうなるのではないか。彼らは明日のわたしの姿なのではないか。そう考えると、彼らから視線をそらすことができなくなる。橘氏のエピローグを読んだとき、わたしがホームレスに対してそうせざるを得ない答えが、そこにはあった。

 

小さいハンドバッグを持った眼鏡をかけた中年の男性が、大きなリュックを持って作業服に身を包んだ40がらみの男性を引き連れていた。わたしの横のベンチにいた男性の前にきて「じゃ、さっきのこと考えといて」と言い残し、リュックの男性と二人でその場を後にした。彼らがどのような人たちなのか、わたしにはわからない。

 

深いしわの男性はポケットからタバコを取り出して火をつけた。その目はゴミ箱に捨てられていた新聞紙を拾う男性に向けられていた。

 

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