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ぼくたちの航海

船

※これは二年ほど前に書いたものですが、ほぼそのまま載せます(「わたし」ではなくこのときは「ぼく」を使ってますね)。

 

 

生まれ育った地元から東京に出てきておよそ八年になる。地元の小、中学校と同じだった友人は、ぼくよりも一年早く東京で仕事に就いた。

 

ぼくは彼のすべてを知っているわけではないが、彼が馬車馬のように働いていたとき。肉体的、精神的に倒れそうだったとき。思い悩んでいたとき。生き生きとキャンバスに描いた将来像を語るとき。すくなくとも、そういった「点と点」を結ぶ「線」を自分なりにひいて、ぼくは彼のことを見てきたと思う。その友人が、結婚する。心から祝福したい。

 

生きるということは、どこか航海に似てはいないだろうか。

 

ぼくたちは一組の男女の下に生まれる。適度に心地よい舟で、それぞれの生きる時間が動きはじめる。親が舟を漕ぐ。ぼくたちはその姿を見ているだけで、必要なものはいつも目の前に用意されている。

 

舟は穏やかな大海を進む。しかし順調な航海ばかりではない。ときには海が時化て前に進まないときもあるだろう。照りつける太陽に体力を奪われ、手に持つオールに力が入らないときもあるだろう。それでも親は、舟を漕ぎ続けなければならない。なぜ漕ぎ続けるのか。舟を持っていなかったぼくたちにはわからなかった。

 

年月が流れ、ぼくたちは大きくなり、親の舟から降り、一人用の小さな舟で海に漕ぎだすが、思うように進まない。体力や気力が十分でも舟を漕ぐ技術を知らない。全身に力がはいり、無駄に体力を消耗する。嵐を避ける知識もない。羅針盤を使いこなすこともできない。それでもこの大海で生きていくためには、自らの力で舟が進むべき方向を決めなければならない。困難を乗り越えて目的地に着くたびに、前の自分よりもすこし成長している自分に気がつくはずだ。そうして航海を続け、技術や知恵を身につけて大海を進んでいく。

 

立ち寄ったどこかの港で出会いがあり、その人と気持ちが合えば舟を並行させて共に航海をはじめるかもしれない。いつしか一人乗りの舟を降り、二人乗りの舟で、共にオールを漕ぎ、航海を続ける。

 

二人乗りの舟は、広く大きく頑丈になり、嵐のときでも、高い波のときでも、簡単に沈まないだろう。しかしそのぶん重くもなる。順調な航海のときはいいが、どちらかが疲れて漕げなくなったとき、その負担は一人の肩に重くのしかかってくる。そうすると、舟の速度は落ち、いつまでも目的地にたどり着くことができなくなる。見渡すかぎり一面の海に、焦りと不安が襲ってくるかもしれない。しかしそんなときは、オールを持った手を放し、舟を風にまかせてはどうだろう。目的地からは遠ざかってしまうかもしれないが別の発見があるかもしれない。休んだおかげでまたオールを持つ手に力がはいるかもしれない。傍にいる人も元気を取り戻すかもしれない。二人が揃った舟は二倍にも三倍にも速く前に進んで行くはずだ。

 

ぼくはまだ一人乗りの舟だ。舟の大きさに良い悪いはない。一人乗りは速く小回りも利き自由な航海を楽しめるが、そのぶんもろい。二人乗りは重くなり自由に航海はできなくなるが、舟は頑丈で、共に時間を過ごす人がいる。その時々でだれもが最適な舟で航海を続けている。

 

友よ。この世界は航海に似ていないだろうか。この広い海に、ぼくたちが目指す最終目的地なんてあるのだろうか。舟を漕ぎ続ける理由は一体なんであろうか。その答えはオールを持つ一人ひとり違うのかもしれないが、友よ、二人乗りの舟で新たな航海をはじめる君に祝福の言葉を贈ろう、おめでとう。

 

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