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子どもは子ども

子ども

新しい年を迎えてもう1カ月が過ぎようとしている。1年があっという間に目の前を過ぎていくのは、気のせいだろうか。

 

年齢を重ねるとお正月というものが、子どものころに楽しみにしていたほど心躍るような、待ち遠しいもではなくなってしまう。

 

北海道に生まれ育ったわたしにとって年末が迫ってくると、学校に行かなくていい長い冬休みが楽しみであり、親や親戚がくれるお年玉が楽しみだった。年に一度の大収穫の日が近づくと、わたしのそわそわも限界に近づく。

 

小学校、中学校、高校と、成長していくほどに、大人一人からもらえるお年玉の額も大きくなる。しかしそれとは逆に、あふれんばかりに多くいた親族も年々少なくなっていった。それでも年に一度の収穫祭は、わたしにとって心躍るものであった。

 

学校を卒業して、働きだし、お年玉の何十倍にもなる労働に対する対価を受け取るようになると、あの収穫祭はなんだったのかと、どこか寂しさをおぼえた。街が、人が、年末の独特の雰囲気の中でせわしなく動き回る、あの師走を待ちわびる想いはなんだったのか。

 

いつからはわたしの心は踊らなくなり、そのステップさえも忘れてしまった。季節は走るように目の前を通り過ぎ、気がついたときには新しい年の幕が開いている。

 

東京に住みついて10年が過ぎようとしている。20代の若造が思い描いたような人生を、今のわたしは歩むことができなかったが、姉に男の子が生まれるといううれしいこともあった。二歳手前で、まだ理解できるような言葉は話さないが、行動、表情の一つひとつでなんとなく理解できる。彼は二回目のお正月を迎えた。わたしは、彼の手には少し大きいポチ袋に一年前と同じように500円玉を入れて渡した。不思議そうな顔をしてポチ袋を見ていたが、それを持ったまま部屋の中を歩き回り、わたしの前に戻ってきて手にしていたポチ袋をわたしに渡す。わたしの子どもではないが、自分の子どものようにかわいい。多少でも血がつながっているからそう思うのかもしれない。自分に子どもがいないから勝手なことは言えないが、子どもがいる疑似体験をしているような気分である。

 

正月に親から手紙が届いた。お年玉として手紙の間に一万円が挟まれていた。わたしはいまだにお年玉をもらっている。もちろん催促しているわけではない。かといっていらないと返すわけでもない。邪魔になるものでもない。たぶん親が生きている間はお正月になると手紙と一緒に送られてくるだろう。

 

テレビで、お年玉をもらう大人、という短い特集が朝のニュースの中で流れた。VTRでは、お年玉をもらう娘さんが、親からはもらいたくないと、やんわり断るシーンが流れる。それを聞いた親は涙する。お年玉を断られて哀しくなったという。わたしは、なぜ親からのお年玉をわざわざ断る必要があるのかわからなかった。子どもとして、親からのお年玉を「ありがとう」の一言を伝え受け取ればいいと思った。

 

親にしてみれば、子どもはいつまでたっても子どもである。わたしたちにしても親はいつまでたっても親なのだ。離れて暮らそうと、地球の裏側にいようと、その構造は変えることができない。わたしたちが親よりも社会的に地位が高くなり、年収が高くなったという一つの物差しを使って考えても、親と子どもの立場がひっくり返ることはない。

 

自分の手から離れた子どもに、親ができることは時が過ぎ去るごとに少なくなっていく。ヨチヨチ歩きだったものが、いつしかしっかりとした足取りで地を踏んで進んでいく姿を、親は見守ることしかできない。たくましくなった子どもの姿を楽しくもあり、また寂しくとも思うのかもしれない。

 

親にとってお年玉は、騒がしくも、うれしさに包まれていた、過ぎた日を思い起こさせる一つのツールであり、親としての威厳を示すものなのかもしれない。姉の子どもが大きく成長しても、わたしは彼にお年玉を渡すことだろう。ポチ袋を持って歩き回っていた姿を思い出すために。

 

わたしが忘れてしまったステップは、今もどこかで引き継がれているのだろうか。

 

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