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必要なのは、ネオンのような明るさなのかもしれない。

ネオンの光

ネオン

友人はわたしと同年齢で、1才に満たない赤ちゃんの母親になっていた。その友人と会った。去年の暮れのことだ。

 

友人とは、20代前半のときに勤めていた会社の部署で知り合い、共に仕事をした期間は短かったが、何度か食事をしたこともあった。わたしが会社を辞めて以来、その友人と会うことはなかった。十数年ぶりの再会だった。

 

友人は結婚を機に、夫の仕事の都合もあり、地元から電車で2時間ほどの土地へと移り住んでいた。

 

わたしは午前10時発の特急に乗り込んだ。雪の影響で電車は到着時刻より40分遅れていた。遅延の詫びと、到着間近のアナウンスが車内に流れた。車窓からは平屋の家や町工場とおぼしき建物が、ぽつんぽつんとあるだけで、わたしが勝手に思っていた「街並み」は見当たらなかった。「淋しいな」そんな言葉が頭にあった。

 

改札を出て駅構内から外を見た。まだ昼間だというのに暗い印象をおぼえた。降り続く雪のせいか、人も疎らだった。

 

友人が車で駅まで迎えにきてくれた。過ぎ去った年月を感じさせるほどの外見の変化は友人にはなかった。「チョット! やせたんじゃない!」友人の問いかける口調も昔のままだった。

 

小上がりのあるレストランでわたしたちは3時間ほど話した。友人は子どもに離乳食を食べさせながら、自らも注文した料理を食べ、時折あやしながら、話し続けた。わたしも友人の子どもを膝の上に座らせて、友人の両手を自由にさせてあげた。

 

友人は私の訪問を心から喜んでくれた。慣れない土地での生活。周囲に知り合いのいない環境。夫が仕事でいない間の赤ちゃんと二人で過ごす時間。不安、葛藤、焦り、苛立ち、友人は体中に溜め込んでいたものを吐き出した。そういったことに耳を傾けてくれる誰かがいることに友人は喜びを感じたのかもしれない。

 

駅で友人と別れたとき、雪は降りやんでいて、すでに日は暮れていた。わたしは30分遅れで到着した特急に乗りその土地をあとにした。車窓の外には暗闇があるばかりで、線路と平行して走る道路の街灯なのか、時折、ぼぉ、と淡い光の玉が通り過ぎていく。遠くで家の窓から光が漏れていたが、周囲が暗く、建物の輪郭ははっきりとしない。

 

わたしは窓の外に目をやりながら、友人が打ち明けた悩みの数々を思い出し、その友人の悩みをつくりだした原因はこの「暗さ」ではないかと、なぜだかそう思った。

 

北海道で生まれ育ち、東京にきておよそ十年が過ぎたわたしは、年に数回北海道に行くことがある。そのたびに感じることはいつも「暗くなった」である。これは同じように東京で暮らす友人も口をそろえて言う。年々暗くなっているように感じる。人も、街も。東京と比べるつもりはない。規模も違えば人の数も違う。そうではなくて、なにかに覆われているように、街が、土地が、暗くみえてしまう。一年のおよそ半分は雪の季節ということも関係しているのかもしれない。その時期の日の沈む早さは思いのほか早い。北海道というと羨ましそうな目をされるが、住んでいた者から言わせると一年の半分は暗く、寒い、雪との格闘の日々である。俯き、背中を丸めて、足早に家路につく。「東京には『別の時間』がある」とある友人は言う。会社勤めの人たちが仕事を終える夜6、7時から、また別の時間が始まるという。そういった時間を持つのは東京だけではないだろうが、それがあるとないとでは街の活気に違いがでる。

 

暗い場所で気持ちが弾むだろうか。ネオンが瞬く場所のほうが気持ちも弾み心も躍る。外に出たいという気持ちを起こさせる。おのずと消費にもつながり、財布の紐もゆるくなりそうなものである。居酒屋やパチンコ店の激しいネオンなどはそういった効果があるのかもしれない。街の明るさは景気のよさのあらわれなのではないか。

 

子育ては大変である。周囲の協力がなければ母親の負担は大きくなる。つらくなれば余裕がなくなり行動も小さくなる。やがて笑うことさえ忘れてしまうかもしれない。街には無駄な明るさもあるが、必要とされる明るさもあるのではないか。その明かりで友人の悩みの半分は解消されるかもしれない。

 

渋谷や新宿のネオンは街行く人々の輪郭を今日も煌煌と照らしているだろう。わたしが友人の悩みのすべてを解決することはできないが、手元を照らす明かりぐらいにはなれたのだろうか。

 

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